【リポート】「肥後の民工芸品展」リポートvol.2
只今「肥後の民工芸品展」を開催中です。
熊本を代表する伝統工芸品・肥後象がんをはじめ、
暮らしに息づく工芸品の数々をご紹介しています。
※作品の一部
<肥後象嵌(ぞうがん)>
象嵌とは・・・
鉄に金や銀をはめ込む技法のことで、
シリアの首都ダマスカスが発祥とされ、
飛鳥時代(592〜710年)に伝わったとされています。
始まりは江戸時代初期(1603〜1680年頃)。
肥後象嵌は刀の鍔(つば)に施す装飾として始まり、
400年程前から熊本市を中心に作られています。
麻生翼 作
今では若手の作家も増え、
アクセサリーなど幅広い作風で身近な日常品としても人気です。
河口知明 作
ペーパーナイフ
大住裕司 作
ブローチ
坂元光香 作
帯どめ
ペンダント
<彦一こま> 井芹眞彦 作
熊本の郷土玩具のひとつ。
八代地方に伝わる彦一がいたずらタヌキをとんちで負かす
「彦一とんち話」からヒントを得て、約70年前に作られました。
タヌキの置物が、あら不思議・・・
頭・胴・かさ・台・尾を組み合わせると、4つのこまに変身します。
<おばけの金太> 厚賀新八郎 作
加藤清正が熊本城を築く際に仕えていた
「おどけの金太」という足軽がモデルと言われています。
19世紀の中頃(嘉永年間)、
人形師の西陣屋彦七(にしじんやひこひち)が
金太の伝説をもとにカラクリ人形を作ったことが始まり。
黒い鳥帽子に赤い顔、
その風貌にはちょっとびっくりしますが、紐をひっぱると・・・
目玉がひっくり返り、
長い舌をペロリと出すカラクリが仕掛けられています。
<肥後手まり> 鶴田美知子 作
芯にヘチマを使い、フランス刺繍の糸で複雑な模様を施しています。
「あんたがたどこさ」の唄を生んだのは、この肥後てまりといわれています。
江戸時代、各藩の城勤めの奥女中たちが手遊びで作り始めたものが、
各地の城下町に伝わり、代々肥後の女性に受け継がれてきました。
<肥後まり> 昇裕子
もみがらを芯とし、木綿糸を天然の植物染料で染め、
伝統の13種の柄を配色の変化で手かがりして作られています。
江戸時代中期に木綿が一般の人々に手に入りやすくなり、
「手まり」は全国の主な城下町で盛んに作られるようになり、
正月の玩具や雛祭りの飾りとして使われました。
<肥後こま> 竹原栄太郎
400年前にインドネシアの方から朝鮮を経て熊本へ伝わった「肥後こま」。
江戸時代には武家の子どもたちの遊びとして広まり、
明治になって庶民に広がっていきました。
こまの種類もトンボ、チョンカケ、ヒネリダルマ・・と十三種類あります。
色鮮やかなのが特徴で、
赤(心臓)、黄(肝臓)、緑(腎臓)、黒(すい臓)の4色と
付けていない無色(肺)は身体の五臓を現し、
健康長寿への願いが込められています。
<木工品>
熊本では、江戸時代から豊富な資源をもとに盛んに木工品が作られており、
人吉球磨地方の挽物や箪笥などの家具類、熊本市川尻の桶・樽などが有名です。
まな板 田中一男 作
煎茶盆 島田敏和 作
<陶器>
文禄・慶長の役(1592-1598)の際、
加藤清正・細川三斎らが朝鮮から伴った陶工によって
熊本の近世の窯業が始まったといいます。
細川家の肥後転封に伴って肥後に移り住んだ陶工達が
始めたといわれる小代焼(しょうだいやき)は、
藩の保護を受けて発展しました。
小代焼 岩本久美恵 作
<染工芸>
約100年前(明治時代末~大正)から、
八代市鏡町や熊本市川尻で五月節句幟が作られてきました。
ボカシや重ね塗りなど手描きの特徴を生かし、
武者絵や鯉の滝登りを描いた昔ながらののぼりが作られています。
その他、藍染なども作られています。
藍染 福永幸夫 作
<七宝>
和田鈴子 作
鷹端瑠未 作
<葦ぺン> 吉村好明 作
「肥後の民工芸品展」は11月28日(日)まで、最終日は14:00までです。