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最新情報

2021.11.21リポート

【リポート】「肥後の民工芸品展」リポートvol.2

只今「肥後の民工芸品展」を開催中です。

熊本を代表する伝統工芸品・肥後象がんをはじめ、

暮らしに息づく工芸品の数々をご紹介しています。

※作品の一部

<肥後象嵌(ぞうがん)>

象嵌とは・・・

鉄に金や銀をはめ込む技法のことで、

シリアの首都ダマスカスが発祥とされ、

飛鳥時代(592〜710年)に伝わったとされています。

始まりは江戸時代初期(1603〜1680年頃)。

肥後象嵌は刀の鍔(つば)に施す装飾として始まり、

400年程前から熊本市を中心に作られています。

麻生翼 作

今では若手の作家も増え、

アクセサリーなど幅広い作風で身近な日常品としても人気です。

河口知明 作

ペーパーナイフ 

大住裕司 作

ブローチ

坂元光香 作

帯どめ 

ペンダント 

<彦一こま> 井芹眞彦 作

熊本の郷土玩具のひとつ。

八代地方に伝わる彦一がいたずらタヌキをとんちで負かす

「彦一とんち話」からヒントを得て、約70年前に作られました。

タヌキの置物が、あら不思議・・・

頭・胴・かさ・台・尾を組み合わせると、4つのこまに変身します。

<おばけの金太> 厚賀新八郎 作

加藤清正が熊本城を築く際に仕えていた

「おどけの金太」という足軽がモデルと言われています。

19世紀の中頃(嘉永年間)、

人形師の西陣屋彦七(にしじんやひこひち)が

金太の伝説をもとにカラクリ人形を作ったことが始まり。

黒い鳥帽子に赤い顔、

その風貌にはちょっとびっくりしますが、紐をひっぱると・・・

目玉がひっくり返り、

長い舌をペロリと出すカラクリが仕掛けられています。

<肥後手まり>  鶴田美知子 作

芯にヘチマを使い、フランス刺繍の糸で複雑な模様を施しています。

「あんたがたどこさ」の唄を生んだのは、この肥後てまりといわれています。

江戸時代、各藩の城勤めの奥女中たちが手遊びで作り始めたものが、

各地の城下町に伝わり、代々肥後の女性に受け継がれてきました。

<肥後まり> 昇裕子

もみがらを芯とし、木綿糸を天然の植物染料で染め、

伝統の13種の柄を配色の変化で手かがりして作られています。

江戸時代中期に木綿が一般の人々に手に入りやすくなり、

「手まり」は全国の主な城下町で盛んに作られるようになり、

正月の玩具や雛祭りの飾りとして使われました。

<肥後こま>  竹原栄太郎

400年前にインドネシアの方から朝鮮を経て熊本へ伝わった「肥後こま」。

江戸時代には武家の子どもたちの遊びとして広まり、

明治になって庶民に広がっていきました。

こまの種類もトンボ、チョンカケ、ヒネリダルマ・・と十三種類あります。

色鮮やかなのが特徴で、

赤(心臓)、黄(肝臓)、緑(腎臓)、黒(すい臓)の4色と

付けていない無色(肺)は身体の五臓を現し、

健康長寿への願いが込められています。

<木工品>  

熊本では、江戸時代から豊富な資源をもとに盛んに木工品が作られており、

人吉球磨地方の挽物や箪笥などの家具類、熊本市川尻の桶・樽などが有名です。

まな板 田中一男 作  

煎茶盆 島田敏和 作 

<陶器>  

文禄・慶長の役(1592-1598)の際、

加藤清正・細川三斎らが朝鮮から伴った陶工によって

熊本の近世の窯業が始まったといいます。

細川家の肥後転封に伴って肥後に移り住んだ陶工達が

始めたといわれる小代焼(しょうだいやき)は、

藩の保護を受けて発展しました。

小代焼  岩本久美恵 作

<染工芸>  

約100年前(明治時代末~大正)から、

八代市鏡町や熊本市川尻で五月節句幟が作られてきました。

ボカシや重ね塗りなど手描きの特徴を生かし、

武者絵や鯉の滝登りを描いた昔ながらののぼりが作られています。

その他、藍染なども作られています。

藍染  福永幸夫  作

<七宝>

和田鈴子 作

鷹端瑠未 作

<葦ぺン> 吉村好明 作

「肥後の民工芸品展」は11月28日(日)まで、最終日は14:00までです。