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2020.04.21

【リポート3】≪奇跡の如来坐像≫「知って・誇ろう! 福岡・博多の伝統工芸」

「知って・誇ろう」をテーマに、福岡・博多の伝統工芸を紹介するリポート。
今日は、博多人形にかかわる「奇跡の如来坐像」について紹介します。




博多人形の歴史は1600年黒田長政の筑前入国に伴って、
多くの職人が集められ、その職人たちから素焼き人形が生まれたといわれています。

その中の黒田藩御用焼物師であった初代正木惣七が(諸説ある中のひとつとして)
博多人形の礎といわれています。

初代正木惣七が瓦師から陶工師に転じ、黒田家の御用焼物師を勤めたのが
「宗七焼き」のはじまりとされています。

「宗七焼き」は仏像のほか茶道具、香炉、面、床の間の置物など
精緻な作品を生み出し、六代にわたり、技術の研鑽・工夫に努めました。

その四代目にあたる宗七幸弘の作品が当館の2階常設展示室に展示しています。
当館で展示している作品で最も古い江戸時代の作品です。




【薬師如来像】天保10年(1839年)/四代正木宗七 作











この作品は、四代宗七晩年の大作といわれ、すべて粘土でつくられており、
袈裟のシワから、頭部の螺髪ひとつひとつにいたるまで、
細かな技術が施されています。
燻をかけて焼成した後、赤褐色の顔料を塗り、
銅製の仏像のような質感に仕上げています。



実はこの「如来坐像」は、
もともと福岡市博多区金隈地区の竹林中の小堂に安置されていたもので、
宗七作であることが判明したため、博多人形商工業協同組合に寄贈されました。
(現在は博多区の祥勝院に移設された小堂には、
博多人形師・三宅隆氏が制作した如来坐像が新たに安置されています。)


ところが、平成17年に福岡県西方沖地震が発生し、
もともと安置されていた小堂が倒壊してしまいました。


しかし本像はすでに組合に寄贈されていたため奇跡的に損壊をまぬがれた・・・

という実話があり、
私たちは、「奇跡の如来坐像」と言わせていただいています。



福岡は、歴史とともに発展した伝統工芸や、
疫病退散を祈願したことから始まったとされる博多祇園山笠など、
昔からの伝統・文化を継承し根付いている町というのを実感します。


現在新型コロナウイルスの影響で大変な毎日ですが、
日々奮闘いただいている医療従事者の方々、
私たちの生活に不可欠なお仕事に携われている多くの方々に感謝いたします。
本当にありがとうございます。

みなさん、一丸となって、感染予防・拡大防止のために
私たち一人一人ができることをやっていきましょう。

※はかた伝統工芸館は、5月7日(木)まで、臨時休館中です。